大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2145号 判決

控訴人(原告) 横尾博 外二六六名

被控訴人(被告) ノースウエスト・エアラインズ・インコーポレイティッド

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人らに対し、控訴人ら関係の原判決添付別表差額欄記載の各金員及び控訴人目録一記載の控訴人らに対し右各金員に対する昭和四七年九月一三日から、控訴人目録二記載の控訴人らに対し右各金員に対する同年一〇月一七日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張と立証は、左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

(控訴人ら)

第一  いわゆる一部ストの場合における民法五三六条二項の解釈・適用について

一  いわゆる部分スト、一部ストに際し、ストライキに参加せず労務を提供した労働者に対し、使用者が当該労働者だけの就労では操業することが無意味であるとして労務の受領を拒否した場合は(操業が無意味であることが客観的に認められる限り)民法五三六条二項の解釈・適用の問題として一般に取扱われている。ところで、同条の規定する危険負担の問題は、結局双務契約に関連して発生した損害をどのように分配するのが公平の観念に合致するかという見地から考えられるべきものであつて、必ずしも通常の過失責任にとらわれる必要はない。特に労働契約の特殊性すなわち契約の一方当事者である労働者が自己の労働力の処分を相手方に委ねること以上の能力を持たないのに対して、他方当事者たる使用者が広範・強大な支配力を組織的に駆使して、契約の範囲内において自由に当該労働力の処分方法を決定する自由を有し、また労働力の具体的処分の前提となる物的・人的・資産的条件整備を施す責任と権限を有していることを考慮すれば、使用者(債権者)の「責に帰すべき事由」を「故意・過失または信義則上これと同視すべき事由」に限定したのでは、公平の観点からみて余りにも狭きに失すると言わなければならない。

すなわち、労働契約に関して同条を適用する場合には、およそ、使用者の勢力範囲内において生じた経営障害については、使用者は不可抗力ないし自己の帰責事由に当らないと主張することはできないものと解すべきである。

このように危険負担の法理は公平の観念を根底に置いているものであるから、いわゆる「部分スト」の場合、すなわち労務を提供した一部労働者の履行不能がその労働者みずからが属する労働組合の意思に基づくストライキに起因する場合には、使用者の賃金支払義務を認めることが公平の観念にもとる、という場合もありえようし、具体的事情の如何によつては就労不能がむしろ、労働者側の責に帰すべきものと解される場合もありえよう。しかし、当該労働者の関係しない別組合の起したストライキは、これと同一に論ずることはできない。問題を使用者の側からのみ見て、労働者の一部の不就労という現象面で両者は同一の様相を呈していても、使用者と労務を提供した労働者との間の公平をはかる見地からみるならば、労働者の側にかかる事態を生ずるに至つた原因の一端を直接・間接に帰せしめることができるかどうかという要素の有無が決定的に重要であると見なければならない。

以上の前提に立てば、本件レイオフの原因となつたストライキが、ALPA(米国パイロツト労働組合、以下ALPAという。)によつて実施されたものであり、本件控訴人らがいずれもALPAの組織対象外の者であつて、本件ストライキとは全く関係がなかつたのであるから、被控訴人会社は、ALPAとの労働協約改定交渉の不調のために生じたストライキというみずからの勢力範囲内において生じた経営障害につきその責を免かれず、従つて控訴人らに対し賃金支払義務を有するものというべきである。

第二  被控訴人会社はALPAとの協約改訂交渉にあたり、誠実団交義務を欠き、ために本件ストライキを招いたものである。

一  仮に、民法五三六条二項の要件を債権者の「故意・過失または信義則上これと同視すべき場合」と狭く限定したとしても、被控訴人会社はALPAと協約改定交渉を進めるうえで誠実団交義務を欠き、そのことによつて本件ストライキを招致したものであるから、この点につき信義則上すくなくとも過失と同視すべき事由がある。すなわち、

被控訴人会社が本件ストライキ当時参加していた米航空企業間における相互援助協定は、円滑な団体交渉を成立させる大前提たる労使対等原則をはなはだしく損うものであつて、同協定に被控訴人会社があえて参加したことは誠実団交義務中の最も重要な部分に違背したものである。右相互援助協定の内容の要点は、おおむね原判決で認定するところであるが、今日においては、右協定の弊害を客観的に評価するうえで参考になるつぎの如き事実関係ならびに客観的資料が存在している。

(一) 米航空企業間の「スト保険」ともいうべき相互援助協定については、かねてから米国内において論議が存したところであるが、一九七八年(昭和五三年)に成立した連邦航空法のこの点に関する改正内容(セクシヨン四一二に追加されたサブセクシヨン(e))は、

(1) 従前の相互援助協定はすべて無効とする。

(2) 今後の相互援助協定に関する航空局の認可基準はつぎのとおりとする。

A 直接運航費の六〇%を超える支払いをしないこと

B 八週間を超える期間についての支払いをせず、かつ争議開始後三〇日間については支払いをしないこと

C 組合側が鉄道労働法にもとづく仲裁申請をした場合には、会社側がこれに同意することを義務づける条項を協定中に含むこと

というのであり、右法改正後も、観念的には認可基準所定の要件に合致する限り、相互援助協定という制度はなお存立しうるわけであるが、本件ストライキ当時に現実に存在した相互援助協定(これが一九七八年当時も同一内容で存続)はもとより、法改正を阻止するために協定加盟会社自身が給付水準をダウンさせる内容を定めて申請した新協定(一九七八年九月一二日付で航空局に申請、甲第六七号証参照)も、右認可基準に合致しうるものではなく、協定参加航空会社は立法府から発想の抜本的転換を迫られることになつた。事実、右航空法改正以後は、現実にはいかなる形でも米国における航空会社間の相互援助協定は存在していない。

そして右法改正に際して、米国立法府が大勢として認めた相互援助協定の本質は、それが労使対等の原則を損うことにより団体交渉を通じての労使紛争の解決を困難にし、従つてストライキを招来する最大の要因である、というにあつた。このように相互援助協定の存在は、会社が誠実団交義務を尽して紛争の円満解決をはかるよりは、むしろ組合の要求を断固拒否し、組合を屈服させて労働条件を会社の一方的意向により決定するという方向を選択させるものであり、逆にいえば、具体的に労使紛争が生じた場合にこのような選択をするためにこそ、会社は相互援助協定に参加するのであつて、協定への参加行為は別言すれば具体的な労使紛争における個々の交渉場面において誠実団交義務を履行するという姿勢をあらかじめ放棄するという包括的意思表示に他ならない。

また、被控訴人会社とALPAとの本件具体的交渉経過に即してみても、会社が本件ストライキを回避するために必要な誠実団交義務を尽さなかつたことは明らかである。とくにALPA側が、一九七二年(昭和四七年)二月三日の時点で、紛争の仲裁による解決を望んでおり、調停委員を経由して同日NMB(連邦調停局)に対し、仲裁手続への移行を要請した、という事実があるにもかかわらず、会社側が仲裁による解決を望まなかつたためにこれが出来なかつたのであるが、若しこの時点で会社がこれに応じていれば、本件ストライキは回避し得たものである。

(被控訴人)

第一  控訴人の民法五三六条二項の解釈については争う。本件はALPAのストライキによつて控訴人らが就労できなかつたことが原因となつて発生したものであるが、かかる場合には原判決も判示しているように、ALPAのストライキについて、会社が不当な目的をもつて殊更にALPAの組合員をしてストライキを行わせるように企図したり、ストライキに到る経過について会社の態度に非難されるべき点がある等特段の事由がない限りは、会社の責に帰すべき事由によつて控訴人らが就労不能になつたとはいえないものである。

従つて、控訴人らが主張するALPAとの交渉を会社が誠実に行わなかつたということが仮に会社に本件の責任を帰属せしめる事由になり得るとしても、その立証責任は、当然控訴人が負担すべきものである。

第二

一  相互援助協定に関する連邦航空法の改正について

控訴人らは昭和四七年の本件ストライキ当時有効であつた協定は、昭和五三年の連邦航空法の改正により全て無効とされ、改正航空法の下で許される相互援助協定は極めて厳しい制限つきのものとなつたとして、このことから従前の協定が労使対等の原則を損い、会社の誠実交渉義務不履行を助長していたことが明らかであると主張している。従前の協定の内容と、改正航空法の規定の内容はおおむね控訴人らの主張するとおりであるが、この改正によつて、航空会社が協定から受領し得る補償金が減少したとは必ずしも言えない。何となれば改正後の法律の下においては、補償の対象となる期間は制限されているが、補償金の率は従前の協定の下での率よりも高い率が認められることになつているからである。このような改正法の内容からすると、法はもともと相互援助協定自体を違法視するものではなく、その有効性を認めながら時代の趨勢に従つて協定の内容に合理的な規制を加えようとするものと考えられるのである。このような法改正は国家の政策の若干の変更を意味するものではあつても、従前の協定が違法・不当なものであつたことを確認する意味を持つものではない。

従前の協定は昭和四四年から五三年まで約一〇年間の長期にわたつて有効に存続していたのであり、むしろその間協定が組合の争議行為に対抗する手段として違法なものでないことについて、アメリカ民間航空局、連邦控訴裁判所及び最高裁判所が何れも正式の判断を下しているところである。のみならず協定に基づいて会社が受けた補償は営業上の損失の極一部を償つただけであり、その補償のゆえに、会社がストライキを意に介しなかつたということはあり得ない。

以上のとおり、相互援助協定に関する連邦航空法の改正があつたからといつて、控訴人らが主張するように、従前の協定が労使対等の原則を損い会社の誠実交渉義務違反を助長していたと結論することが出来ないことは明らかである。

二  本件交渉の経緯は以下のとおりである。

1 交渉が合意に達せず、調停申立に到るまで

交渉は昭和四六年四月一三日から開始され、交渉妥結に到るまで合計一二五回行われた。この間同年九月二〇日、調停申立に到つたのであるが、ALPAからの要求項目は賃金、労働時間、就業規則改正等三五〇以上という多数に上り、一方会社からの要求項目も三三にのぼつた。そして調停申立に到るまでの交渉の席上ではこれらの三五〇以上にものぼるALPAからの要求項目の説明にほとんど時間が費やされた。

このようなALPAからの要求は、項目数のみならず内容の点からみても、次に一例を示すように極めて過大なものであつた。すなわち、当時のアメリカ合衆国大統領ニクソンは、経済安定法(the Economic Stabilization Act)にもとづき、昭和四六年八月一五日に行政命令一一六一五号(Executive Order 11615)を、同年一〇月一五日に同一一六二七号(Executive Order 11627)を公布施行したが、この命令は右経済安定法に基き、価格、賃料、賃金、給料等の上昇を一定範囲内に凍結するものであつた。右命令により、賃金の年間上昇率は、付加給付を含めて六・二パーセントに押えられたが、ALPAの要求はそれをはるかに超えるものであつた。例えば、要求項目の一つに給与を減らさずに一カ月あたりの最大労働時間を八〇時間から七五時間に縮小せよというのがあつたが、この一つの要求でさえ六・二五パーセントの賃金の年間上昇率に相当するものであつた。

なお、右調停申立に到るまでの間、会社がALPAに対しその要求項目の多いこと等にクレームをつけて交渉の引き延ばしをはかつたなどということは全くなかつた。

2 調停申立から調停打切に到るまで

(一) 昭和四六年九月二〇日、ALPAは調停を申立てたが、一方会社はできるだけ早く交渉を進めるために調停外でALPAとの交渉を試み、同年一〇月中に計一一日間交渉が行われた。

調停は、同年一一月一〇日に開始され七日間行われ、その後同年一二月七日に再開されるに到つたのであるが、その際に会社はALPAに対し、すべての要求項目について回答をだした。その回答の主要な内容は以下の通りである。

(1) 相当実質的な賃金の増額

(2) 一カ月あたりの飛行時間の八〇時間から七五時間への縮小

(3) 一年あたりの休暇日数を六週間に引き上げること

(4) 廃疾退職および通常退職の双方の場合を含む年金を実質的に改善し、会社がその全額を支払うこと

(5) 会社全額負担にかかる非課税生命保険額の引き上げ

(6) 入院保険額および手術保険額の引き上げ

(7) 会社が歯科医療費を負担する

以上のような回答から明らかなように、会社はALPAに対し大巾な譲歩をしたのであるが、ALPAはその要求が一〇〇パーセント実現しない限り一歩たりとも譲らないという態度に固執し、右回答を全面的に拒否し、会社に対し二三〇項目にも上る要求項目について何ら組合要求に答えていないと反論した。

(二) 昭和四六年一二月に前記会社の回答がALPAによつて拒否された後、同年一二月、翌昭和四七年一月、二月の間、調停は計三九日間行われたが、その間ALPAはさらに要求を拡大してきた。その為調停は暗礁に乗り上げ、調停委員会は、同年二月二五日調停を一時停止するに到つた。

同年三月、会社はそれにもかかわらず解決をめざしALPAとの交渉を続行し、特別の調停が四月にワシントンで、五月にミネアポリスで行われるに到つたが、ALPAの自らの要求を一歩も譲らないという態度は全く変るところがなかつた。

そして昭和四七年五月二六日、調停委員会は、鉄道労働法(Railroad Labor Act)の規定にもとづき会社およびALPAの双方に対し、仲裁への移行を要請したがALPAがこの要請を拒否したため、結局同年五月三〇日調停は打切られるという事態に発展した。

3 ストライキ突入直前の時期について

昭和四七年六月二一日、調停委員会は、前記打切にもかかわらず両当事者を交渉のテーブルにのせるべく最後の試みをなし、その後交渉は毎日行われたが、同月二八日会社は、ALPAに対し以下に述べるような回答を示した。それは給料、年金、付加給付すべてを昭和四六年七月一日から三年間に、平均二六・七パーセント引き上げるというものであり、前述した賃金等の上昇率を凍結する行政命令のもとで許容されていた上昇率をはるかに超えるものであつた。そのため会社はALPAと賃金凍結法の下での除外事由を探求すべく合意したほどであつた。

このように大巾な譲歩を示した会社の右回答によつて給与等の基本的な労働条件についてはほぼ合意が成立したが、多数の細かい要求を一〇〇パーセント押し通そうとするALPAは右回答を全面的には受諾せず昭和四七年六月三〇日、パイロツトに対しストライキ指令を出したのであつた。

これに先立ち同年六月二九日、当時の労働長官ジエームス・デイー・ホジソンは会社およびALPAの双方に対し、ストライキを中止し、労働次官補主催のもとで行われる予定の少くとも一〇日間の交渉が継続している間は業務を継続するよう要請を行つた。

この要請に対し、会社はただちにこれを受諾したが、ALPAはこれを拒否し、鉄道労働法のもとでストライキが可能となる最も早い時期即ち調停打切りから三〇日たつた後の六月三〇日ストライキに突入した。

4 ストライキ突入直後の状況

昭和四七年七月初め、交渉は行われ、会社は特に年金と保険の面に於てALPAに対し大巾な譲歩をしたが、それを数字で示せばパイロツトに支払うべき額を前記3に記載した二六・七パーセントからさらに二九・五パーセントまで引き上げたことになるものであつた。しかしALPAが未解決のままであつた一五〇から二〇〇にものぼる要求項目を全く譲らなかつたため妥結に到らなかつた。この際調停委員会は、ALPAの要求項目はあまりに多数であるのでこれを現実的な数に減らすよう、要請をした程である。

5 ストライキの収拾に到るまでに生じた問題

昭和四七年八月一四日から同月三〇日までほとんど毎日、会社とALPAとの間で直接交渉が行われたが、その間の交渉で未解決のほとんどすべての項目について合意に達することができた。しかしそれにもかかわらず、ストライキが終らなかつた理由は、ALPAが会社に対しもともとの要求項目にはなかつた非現実的な新たな要求をしてきたからである。

ALPAの右要求とは、ストライキ開始直前の同年六月二九日時点で業務についていたパイロツト全員をただちに職場に復帰させようというものであつたが、この要求がいかに非現実的であるかは以下に掲げる事実から明らかである。

(一) 七月、八月は休暇シーズンの為、一年中で一番乗客の多い期間であるのに対し、九月、一〇月の乗客はストライキのない通常の状態においてさえ、七月、八月の約七五パーセントである。

(二) 二カ月におよぶALPAのストライキによつて、会社に予約をいれている乗客はほとんど皆無であつた。

(三) ストライキ解決の見通しがたたなかつたため、会社は通常の状態に於てパイロツトのフライトのある一定割合を占めるところのチヤーター便を飛行させることができなかつた。

(四) 八月に軍隊の為にチヤーター便を飛行させる予定であつたが、ストライキの為に不可能になつてしまつた。

6 交渉全体を通じての会社の態度

以上述べた具体的交渉経過によつて明らかなとおり、ALPAが要求提示をしてから本件ストライキが収拾されるまでのあらゆる段階において、会社はしばしば大巾な譲歩をしており、交渉の引きのばしをはかつたことなどは一度もなく、ALPAとの団体交渉に努力しストライキを極力回避しようと努めたのである。航空業界においては、ストライキが行われるとその期間中のみならず、ストライキ終了後将来に亘つての営業をも失うことになるばかりでなく、ストライキに全く関係のない社員が収入の道を絶たれ苦痛を味うことになるので、会社がストライキを意に介しないなどということはあり得ない。ちなみに当時会社の社員は約一万人でありそのうちパイロツトは約一六〇〇人にすぎなかつた。ALPAの組合員はもともと高額の賃金を得ている組合員であり、ストライキ中も或る程度収入が補償されていたので、ALPAは交渉過程において自らの要求を一歩も譲らない態度に固執したのであり、その意味からも誠実に団体交渉をしなかつたのはALPAである。

(当審における証拠)〈省略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本訴請求は棄却すべきものと判断するのであるが、その理由は、左に訂正付加するほかは原判決理由説示と同一であるからこれを引用する。

(一)  原判決一二枚目表四行目「雇用契約における」以下同七行目「判断するまでもなく」までを、「前示争いなき事実並びに成立に争いない乙第一号証、原審証人友野博司の証言、原審における小泉安司本人尋問の結果とこれにより成立の認められる甲第一号証によれば、控訴人らがその主張するように就労しなかつたのは、被控訴人が控訴人らに対し請求原因2で主張するとおりの理由によつて、組合との合意書に従つて一時的休業(いわゆるレイ・オフ)を命じたため、事実上控訴人らが就労できなかつたことによるものであることが認められ、かかる事実関係のもとにおいては、被控訴人の受領遅滞というよりも、以下にのべるとおり、控訴人らにとつて債務の履行不能となつたものというべきであつて」と改める。

(二)  同一二枚目裏一〇行目「労働者が」の次に「同一企業内における」を、同一三枚目裏三行目「乙第三号証」の次に「当審証人ホーマー・アール・キニーの証言等」を、同四行目「右」の次に「証言や」を、同一五枚目表二行目「第一三号証」の次に「第二〇号証の一、二、第二一号証と当審証人ホーマー・アール・キニーの証言」を、同行「前示協定は」の次に「当時」を、それぞれ加入し、同六行目「八六〇〇万ドルであつた」とあるのを「八六〇〇万ドル程度と一応推定される」と訂正する。

二  控訴人らは、いわゆる一部ストの場合に、ストライキに参加しなかつた労働者に対する使用者の賃金支払義務につき、民法五三六条二項の危険負担の法理を支配する損害の公平な分配の観念や労働契約の特殊性に鑑みると、同項の「債権者ノ責ニ帰スヘキ事由」を故意・過失または信義則上これと同視すべき事由に限定するのは相当でなく、特に当該労働者の所属しない別組合の起したストライキについては、使用者は、その勢力範囲内に生じた経営障害として労働者に対して責任を免れないところ、本件レイ・オフはALPAのストライキによるもので、控訴人はこれに所属していないのであるから、被控訴人は賃金支払義務を免れないと主張するけれども、民法五三六条二項の「債権者ノ責ニ帰スヘキ事由」とは「故意・過失又は信義則上これと同視すべき事由」と解すべきことは、引用にかかる原判決の説示するとおりであり、また、労働者に争議権が保障され、使用者にはこれが停止を強制する手段方法がないことからすれば、組合のストライキにより、これに参加しない労働者の就労が無価値なものとされ、その履行が不能となつたとしても、当該ストライキに関し、原判決が説示する如き特段の事由のないかぎり、一般に使用者の責に帰すべき事由にあたらないものと解するのが相当である。そして、このことは、ストライキが労働者の所属する労働組合の指令により行われた場合と、その他の組合によつて行われた場合とで、使用者にとつて事情は全く同一であるから、これを別異に取扱うべき理由もない。したがつてこの点に関する控訴人らの主張は採用できない。

三  次に、控訴人らは、被控訴人はALPAとの協約改訂交渉にあたり、当時、米国航空企業間で行われていたいわゆる相互援助協定に加入していたところ、同協定は一九七八年の連邦航空法の改正によつて無効とされたことによつても明らかなとおり、甚だしく労使対等の原則を損うものであり、このような内容をもつ協定に被控訴人が加入したこと自体、誠実に団交する意思をあらかじめ放棄したものというべく、また、現実の交渉過程についてみても、被控訴人はストライキを回避するために誠実に団交する義務をつくさなかつたことが明らかであつて、本件ストライキが行われたのには被控訴人の責に帰すべき事由がある旨主張する。そして、一九七八年に米国連邦航空法が控訴人らの主張するとおりに一部改正されたことは当事者間に争いがなく(右法改正の評価については別である)、成立に争いない甲第六七号証によれば、右改正法案を審議した米国連邦議会下院における論議のなかには、本件相互援助協定はストライキによる使用者の打撃を軽減するに止まらず、却つてその収益をさえ可能ならしめる結果、正常な団交を歪め、ひいてはストライキを長期化させる要因となつている趣旨の批判的意見があつたことが認められるが、かかる意見があつたからといつて、引用にかかる原判決認定の諸事情(原判決一四枚目裏一〇行以下一五枚目裏四行まで)のもとにおいて、被控訴人が右相互援助協定に加入していたこと自体をもつて、直ちに、被控訴人が誠実に団交する意思を豫じめ放棄したものとみなし得ないことは勿論であり、また、当時、被控訴人がALPAをしてことさら本件ストライキに追いこんだものとはとうてい認めることはできない。当審における城間恒本人尋問の結果とこれによつて成立の認められる甲第七五号証の一、二には、右控訴人らの主張に沿う部分があるけれども、これらはいずれも前示認定事実に徴して採用しがたい。また、本件における証拠によつて窺われる現実の交渉過程についてみても、被控訴人に控訴人ら主張のように評価されるべき所為があつたものとも認めえない。却つて、成立に争いない乙第三号証に当審証人ホーマー・アール・キニーの証言によれば、同人は被控訴人会社の労務担当者として会社を代理し、一九七二年(昭和四七年)七、八月の一時期を除いて、ALPAとの本件協約改訂交渉に関与したものであるところ、同交渉におけるALPAの要求項目は、賃金、労働時間、就業規則の改正等に極めて多岐にわたり、これらは一〇数年間被控訴人を代理して組合交渉にあたつて来た同証人でさえかつて経験したことのない程に膨大なものであつて、その交渉の開始、当時の米国における大統領の行政命令にみられるような賃金等の抑制の事情、交渉の過程において被控訴人がALPAに対して示した数次にわたる譲歩内容、調停の不調とALPAがストライキに突入するに至つた状況、ストライキ突入直後の交渉の実情とこれが収拾に至るまでの経緯等についての事実関係の大綱は、おおむね被控訴人の当審での主張(第二、二、1ないし5)に符合するものであることが窺われ、これらの事実関係によれば、控訴人ら所論のとおり、被控訴人がALPAとの本件協約改訂交渉において誠実に団交義務をつくすことなく、ことさらストライキに追いこんだものともいうべき非難に値する事実関係は認めがたいものといわなければならない。なお、控訴人らは一九七二年(昭和四七年)二月三日の時点で、ALPAは仲裁による解決を望んでおり、調停委員を経由して調停局(NMB)に仲裁手続への移行を要請したにも拘らず、被控訴人においてこれに応じなかつたためストライキを回避できなかつた旨主張し、成立に争いない甲第五〇号証にはALPAが右仲裁移行の要請をした旨の記載があり、当審における城間恒控訴本人の供述中にもこれに符合する部分があるけれども、いずれも極めて概括的かつ抽象的なもので、特に城間恒控訴本人の供述は伝聞に属し、ALPAが果して如何なる状況のもとで、どのような手続を経てこのような要請をなし、被控訴人が如何なる理由でこれを拒絶したのか、その具体的態様は一切不明であつて、これを確認するに由なく、控訴人らのこの点の主張も採用しがたい。

四  そうすると、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民訴法三八四条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中永司 安部剛 岩井康倶)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例